台湾自転車一周9日目: 台東紅葉温泉と龍田村と。

   

無題

  • 台東~池上
  • 移動時間: 6時間40分
  • 走行距離: 63.3 km
  • 平均速度: 9.5 km/h
  • 消費カロリー:1300 kcal

前回の記事 台湾自転車一周8日目: 台湾最南端を通って台東へ

 

DSC_0006

出発前に、南王川味牛肉麺と書かれたお店で腹ごしらえ。カメラを構えると、前にいたおじさんがナゾのポーズ笑

 

DSC_0004

メニューを見てもよくわからないので適当に注文。ワンタンスープが出てきた。ワンタンに包まれたお肉とこってりしたスープが相性良く、とてもおいしかった。

 

DSC_0010

街を抜ける前にセブンイレブンを発見。こちらのセブンイレブンではよく自転車用空気入れが置いてあり、店員さんに一言いえば、自由に使うことができる。空気がしっかり入っていないとパンクのリスクが増えるので、適正空気圧までしっかりと空気をタイヤに充填する。特にロードバイクの細いタイヤでは、常に空気圧を気にしなければならない。

 

 

DSC_2883e

市街をぬけ、高さ250mほどの山を登る。山頂からの景色はとてもきれいだった。

 

 

DSC_0014

坂を下った道路の分岐点でナゾの野球像を発見。この像は台東県原住民ブヌン族の野球チームらしい。

1968年にリトルリーグワールドシリーズで世界チャンピオンを制した日本関西少年野球リーグの和歌山チームを、7対0で破った台東県の原住民ブヌン族の子達の「紅葉少年」野球チーム。

台湾の人たちの野球への関心は、この試合がきっかけとなったと言われています。翌1969年、台湾を代表する少年野球チーム「中華民國台中金龍隊」は、リトルリーグにエース郭源治を擁して世界チャンピオンになりました。
この名誉ある優勝で、台湾の『少年野球』ブームはますます熱を帯びてきました。それから2011年までの間に、台湾の少年たちはリトルルーグで17回優勝、準優勝3回という輝かしい成績を修めてきています。

参考サイト: 台北ナビ 台湾野球の根っこを作ったといわれる紅葉少年野球チーム、その記念館に行ってきました

 

地図によると、この分岐点で本来右に向かわなければならないが、写真左奥の看板に「紅葉温泉コチラ↑」と書かれていることを発見する。前回発見した旭海温泉がとても気持ちよかったので、「ちょっと行ってみよう」と思い紅葉温泉を目指すことにした。

 

DSC_2891

この紅葉橋の先に紅葉温泉があると書かれている。

 

DSC_2899

坂を登ったり下りたりして、分岐点から4kmほど走ったところ(思っていたよりも遠かった)に紅葉温泉の入り口の看板を発見。

 

DSC_2900

紅葉温泉。自転車を停め、 着替えと貴重品を持って入り口で記念撮影。

 

DSC_2935

正面入り口から中に入ってみるも、全く人の気配がしない。はじめは旭海温泉のように、係員がいなくて無料開放された日なのかと思いきや、この温泉は全く営業している気配がない。

 

DSC_2904

入り口カウンターから左に曲がり、男湯のロッカーに入って確信した。この温泉はつい最近まで営業していたが、現在はもう使われていない。

 

DSC_2910

お風呂は露天風呂で日本の様式。雑草がかなり生えてきている。

 

DSC_2911

洗面台。

 

DSC_2931

ついでに入り口右側の女湯(?)にも侵入。

 

DSC_2932

入り口にはかなり前に撮影された野球の写真が飾ってあった。

ネット情報によると、台東紅葉温泉は2009年の台風8号によって北絲闇渓の河川の水が増水し、温泉エリアが土石流により埋没したため、現在は閉鎖されていると書かれてあった。まだ十分に新しい設備なので、台風被害にあった区画を整備し、早く営業が再開されることを願っている。

 

 

紅葉温泉での入湯を諦め、台東鹿野郷に位置する龍田村を目指す。この龍田村は、もともと原住民のプユマ族(卑南族)が暮らしていた土地で、日本統治時代中に日本移民村となった村。およそ90年前、ここがまだ日本だった時代に建てられた建物などが残されていると聞き、ワクワクしながら龍田村を目指した。

 

DSC_2947

龍田村に向かう途中、古い日本家屋らしき建物(屋根と骨格のみ)を発見。現在は洗濯物を干すための屋根として使用されていた。笑

 

DSC_2948

かつて日本人移民村だったとは言っても、戦後の中華民国時代に建てられたと思われる中華風の建物もいくつかあった。

 

DSC_2953

龍田村に到着。よく見ると、龍と田の間に小さく「の」と書かれている。

 

DSC_2965

田國小(龍田小学校)。日本統治時代には「鹿野尋常高等小学校」として、日本人移民のための小学校だった。当時の外観のまま、現在では日式校長宿舍として保存されている。

 

DSC_2961

90年前に建てられた建物とは思えないすばらしい保存状態。日本統治時代に、台灣へ移り住んできた人たちの当時の暮らしを想像する。

 

DSC_2971

この美しい建物は、1928年に建てられた台湾初の託児所。移民として台湾に送られてきた日本人の妻の需要により、日本愛国婦人会台湾本部がこの託児所を建設したと書かれていた。

 

DSC_2987

日式居宅。入り口には、中国でよく目にする倒福シール(福が逆さまになったもの)が貼られていた。

 

DSC_2990

自転車で村を走っていると日本住宅らしき建物を発見。鹿野区役場と書かれている。ネットで調べると、日本が統治していた1937年(昭和12年)に建てられたようだ。

 

DSC_3004

建物の裏側に周ってみると、地元の子供たち(お姉ちゃんと弟?)が縁側で遊んでいた。

 

DSC_3001

日本の古い建物でよく見る、ガラス戸。

 

DSC_3009

建物の内部は畳張りで、掛け軸や押入れもあり、当時のままきれいに保存されていた。

 

DSC_3027

この建物を出て行く時、表に出てきて「バイバイ~再見!」と言ってくれる子どもたち。かわいい。

 

DSC_3034

龍田村を出発した直後、タイヤがパンク。念のために替えのチューブは持っていたが、この日は時間があるのでパンク修理をした。

パンク修理は成功したが、携帯用のポンプだと空気圧が十分に入った感じがせず、なんだか心もとない感じがした。そこで、近くのコンビニで空気入れを使えないかと思い、歩いているおじさんに聞いてみることに。「空気入れを探しているのですが、どこか近くにコンビニはありますか?」と英語で聞くと、「??」という顔をされた。次に、全力の怪しい中国語で「在哪里セブンイレブン?有没有自行车的Pump(+ジェスチャー)?」と尋ねると、こちらが日本人とわかったらしく、「このあたりはコンビニがないからうちの家にある空気入れを使いなよ(日本語)」と返答される。笑 おじさんに100m程離れた家まで案内してもらい、空気入れを使わせてもらった。 おかげさまで空気圧は完璧。お腹が空いたので近くにあるごはん屋を聞くと、近くにとても有名なカフェがあるよと教えてくれた。ありがとう、親切なおじさん。多謝。

 

DSC_3038

教えてもらったカフェがこちら。Angel Mini Cafe。こちらの台湾の方のブログに、たくさん写真や説明が書かれている。

 

DSC_3040

お店のおじさんは とにかくミニが大好きらしく、台灣で行われるミニ乗りの集まりによく顔を出しているらしい。

 

DSC_0029

なんと、ミニの後ろ側にコーヒーマシンを積まれていた。「ミニで作ったコーヒーはうまいだろう」的なことをおじさんに言われたが、軽く笑ってごまかしておいた。笑

 

DSC_3043e

お店の女の子をパシャリ。

 

腹ごしらえを済ませ、出発する。この日はあまり自転車をこいでいないが、前日の疲れが残っていたので、2時間以内に到着できる池上をゴール地点とした。

DSC_0035

夕方、池上郷に到着。まずは食堂で腹ごしらえ。ハチノスが入った麺と魯肉飯。

 

DSC_0034e

食堂のテレビでは、マレーシア航空の事故がちょうど報道されていた。この番組では、日本のニュース番組で撮影された全日空元機長へのインタビュー映像が、そのまま翻訳されて使われていた。

 

DSC_3044

池上郷は駅前が少しだけライトアップされていた。

この日は自然豊かな台東を、寄り道しながらのんびりと進むことができた。一日を振り返り、台灣を自転車で旅してよかったと思えた一日だった。

ちゅーす

(この記事は2014年の台湾自転車一周のことを思い出しながら書いています。)
次の日の記事

 - 台湾, 自転車